絶対にカッとしてはならない

   『絶対にカッとなってはならない。小さな気の緩みは、後で大問題につながりかねない。もちろん、効果的だと判断して、演技するなら話しは別だ。それでも、細心の注意を払わなければならない。正しい状況把握、そしてタイミングを選ぶ必要がある。どんなに相手が悪くても、どんなに相手があなたを怒らせても、自分が絶対に正しくても、一切関係ない。カッとした時点で、すでに自制心を失っており、その程度の人間とみなされ距離を置かれる存在となる。』

 時に、カッとなる人がいます。以前、そんな上司がいました。上司だから従わざるをえませんでしたが、上司とはいえカッとなった時点で負けです。その姿を見せた時点で、誰も相手にしなくなります。それは、その人が自分のことしか考えていないからです。自分のために言っているのか、相手のためを思って言っているのかは誰でもすぐにわかります。当然の結果です。いつカッとするかわからない人や自分を不愉快にさせる人と誰が一緒にいたいと思うでしょうか。周りの人や、相手のこと、立場を考えれば、そんなことができるわけがありません。カッとする前に、そうならないよう自らが手立てをしておくことが必要ですし、それをしていない自分をまず責めるべきです。役職が上であろうがなかろうが、人としてどうかを周りの人は冷静に見ているのです。知らないのは、当人だけなのです。その上司は、しばらくしておられない状況になりました。黙って我慢している人達を、あまく見てはなりません。世間は、あまくありません。何かの縁で一緒に仕事をしているのです。共々に力を合わせて良い方向へ進めていくのが本来のあり方です。絶対にカッとしてはなりません。じっと我慢して沈黙している人達がいることを知るべきです。

相手の立場に立つ

  『「相手の立場に立つことからすべてが始まる」

顧客の立場に立ち、部下の立場に立ち、時には経営者の立場に立つ。言うは易くの思いがする。相手の立場に立つには、まず相手を理解しようという気持ちを持つ必要がある。自分一人の思い込みで、相手の立場を決めつけていることは少なくない。相手をどれだけ理解しているか、理解するためには何を知らなければならないのか、充分に考えなければならない。相手の立場に立つということは、相手をかばったり、相手の犠牲になることではない。自分だったらどう判断し行動するかを想像しながら、相手の利益を考えることである。そのことを踏まえたうえで、自分にとっても相手にとっても、最善の方法を見出すことが必要である。』

   自分の視点だけで考えて、正義感を振りかざし、相手のことを考えずに話す人がいる。相手の気持ちやおかれている状況、どう考えているのかを考えないので、相手が自分に合わせているのも分からずに話している。これでは話しを進めることは難しい。まず、相手を理解しようとすること、そして相手が何を求め、どう受けとめるかを考えることである。話しを進めていく上で大切なことは、相手の立場に立って考え、それが相手にとっても良いことであり、受け入れられることでなければ話しは進まない。そこまで相手のことを考えなければ、話しは進まない。そこまで考えてダメだとしても、話しをしていく中で自身の考えのどこが間違っていたか、どこの考えが足りなかったのかが分かる。それで相手との距離を近づけることができる。良い人間関係を作り、物事をより良く進めていくには、まず相手の立場に立つことから始まるのです。

仕事を終えてからの時間が大事

 『アメリカの管理職以上の人は本当に良く勉強をしている。各人が成功する、社会に貢献するために、自己啓発を怠らないからで、就業時間外に勉強しているのだ。ボクも長い間、実社会のおいて働いてきたが、夜の時間、とくに6時から10時までを、各人が如何に活用したかによって、各人の評価が変わってくると思う。人生にとって、自分自身の実力が一番大事である。この実力は日常の積み上げによって培われるのだ。ハブソンという人が、過去百年間に世界の実業界で活躍した人々を調べたところ、その人たちが成功した要因は「例外なしに、彼らが会社が終わってからの時間が大切だと思っていた点にある」と言っている。つまり、会社での時間中になく、私生活での時間中にあるというわけだ。会社で頭を使ったり努力したりするのは当たり前で、大部分の人がそうしているのだ。ところが家に帰ってからの時間をどのように使っているかが、だんだん差をつけてくる。午後6時から10時までの4時間を、漫然と過ごすか、たとえ1時間でも勉強に当てるかによって、長い間に水をあけられるのだ。』土光敏夫さんの言葉である。

 会社の仕事が終わってから、何をしているかが問われているところです。その時間をこれからのために有効に使っているのか、漫然と過ごしているのかで、当然結果は違ってきます。明日の仕事に面白みを加えて翌日仕事ができるようになれば、当然結果がついてきます。日々の仕事の中での違いは誰にも見えませんが、年月とともに差がつき、歴然とした差になってくるのです。 

創造的思考

  創造的思考というと、学問とか科学とか技術などといった未知の分野への創造的な仕事をしている人達をイメージしますが、創造的思考はある種の職業に限られたものではありませんし、特別の才能を持った人だけにあるものではありません。

 それでは、創造的思考とは何かというと、家で子供を有名大学に進学させるプランを考え出した。これは、立派な創造的思考であります。会社の収益を上げるための方法を考えだすこともそうです。スタッフの仕事の作業効率を上げる方法を考え出すこと、こういったことはすべて、日常の創造的思考なのです。

 創造的というと別次元の話しのように思われていたかもしれませんが、そんなことはありません。我々は、日々目の前のことや先のこと考えていますが、それを解決するための方法を考えていること自体が創造的思考なのです。実は、我々が日々意識せず行っていることなのです。

 ただし、創造的思考と思い付きとは全く違います。思い付きは単なるひらめきと言えますが、創造的思考ができるようになると思い付きでさえ、それを糸口にして論理を組み立て現実を切り開いていくことができるようになります。

成果が出ないといって

 『成果が出なかったということは、無意味だったということではない。たとえば、恋愛に成功しなかったということが、無駄だったとか、心を痛めただけだったということを意味しているのではない。なぜならば、その苦悩の中で人はたくさんのものを得るからだ。苦悩があるから成熟する。苦悩したからこそ、新しく成長できる。喪失、困難、苦悩は、人に豊かなものを与えてくれるのだ。』フランクル曰く。

 「喪失、困難、苦悩は、人に豊かなものを与えてくれる」とは、なんて素敵な言い方でしょう。20代~30代の若い時期は、いろいろなことに前向きに取り組み挑戦してきました。それゆえたくさん壁にぶつかって悩んだことが多かったように思います。本当に前に向かって進んでいるのか、遅々とした歩みに「こんなことをしていて大丈夫か」と、気の遠くなる思いがしました。しかしながら、50歳を超えてわかったことがあります。それは、目の前のことを一つ一つ確実に着実に乗り越えていくのが一番の近道であり、遅々とした歩みではありますが、ある時から急に加速度的に物事が見えてくるようになったと感じています。カタツムリの歩みのようでありましたが、長い年月の積み重ねのすごさを痛感しています。成果にとらわれず、一つ一つ確実に着実に乗り越えていったから、ほんの少しかもしれませんが豊かさを感じれるようになりました。

「たゆまざる歩み おそろし かたつむり」です。

 『どんなにいやなことでも、心のにごりを捨てて勇んで引き受ける心が徳の心だ。

  いやなことでも、辛いとかいやと思わないでやる、喜んで勇みきって引き受ける、働き務めぬく、それが徳のできゆく土台だ。

  ばからしいとか、いやだなあというにごった心をすっかり取って、感謝と歓喜で引き受けるなら、辛いことほど徳になるのだ。』

 徳は、頭の良し悪しには関係がありません。人としての本来のあるべき姿・根幹を表しているものといえます。だから、徳のある人に出会うと、心から共感するのです。そうなりたいと思うのです。有意義な、至福な時間を共に過ごせるのです。

出世できない人

 『サラリーマン社会で出世できない人がやりがちなのは、楽な方ばかり選ぼうとすること。合理化とか、効率的という言葉を逆手にとって、どうやったら簡単にできるか、手を抜けるかということばかり考えている。要領が良いことが「できる」ことだと勘違いしている。だが、若いときほど難しいほうにぶつかっていかないと成長はないということは、どんな世の中でも間違いなく真理なのだ。実は、要領が良さそうに見える人ほど損をしているし、割を食っているように思える人ほど得をしている。そこに早く気づいた人の勝ちなのだ。』

 こういう点については、世の中は公平にできていると思います。楽な方へ、要領よく、時間をかけず早く、簡単になど、手を抜くことばかり考えていて、良い仕事ができるわけがありません。考えてみれば当たり前のことですが、そんなことさえわからない人が多くおられます。早く気付くべきです。手間をかけて一つ一つ丁寧に仕上げていくのです。その仕事内容が、人に伝わらないわけはありません。