強く願う

  『「横綱になりたい!そう強く願い続けた者しか横綱になれない」かつて栃錦とともに大相撲の人気を二分し、いわゆる栃若時代を築いた名横綱若乃花、現在の二子山親方の言葉です。およそ何か事をなすにあたっては、まず何よりもその実現を強く願うこと、“こうしたい”“ああしたい”という願いを持つことが、その出発点ではないでしょうか。願わずして事がなる、と言うことも時にあるかもしれませんが、それはごく特別な場合であって、普通はやはり、まず願うことから始まる、と言えます。私たちはお互い、日々取り組んでいる商売・事業について、さまざまな願いを持っています。百人の経営者がいれば百人とも、みずからの商売・事業の成功を願っているでしょうし、そのために“ああもしたい”“こうもしたい”という願いを抱いています。ところが現実には、一方にその願いのとおりことごとに成功を収め、隆々たる発展を実現していく人もあれば、他方でこと志に反して失敗・倒産の苦境に陥る人も少なくありません。こうした違いはどこから生じてくるのでしょうか。その一つの大きな違いは、事の実現を願うという出発点のうちにあるように思われます。誰もが同じように成功を願っているけれども、果たしてその願いが日々の行動を変えるほどに強いものであるかどうか、またその強い願いを、常に四六時中持ち続けているかどうか、そこに結果として大きな差が生じる一つの要因があるのではないでしょうか。』

 最近、この強く願うの意味が分かってきたように思います。不可能に近い場合、“こうしたい”程度の決意ではできません。“誰がどうこう言おうが、何があっても俺はやる”と決意をしたものは、周りの人も動きます。そして道が見えてきて形になります。強く願う、その度合いができるかどうかを決めるのです。