批判に対して

  『松下は批判に対する弁明が、新たな批判の誘引になることを良く知っていた。批判するものは最初から批判しようと決めているのだから、いくら正しいことを懇切丁寧に弁明しようと聞く耳を持っていない。説明し弁明すればするほど、いよいよ批判は激しくなる。これが世間と言うものである。だから松下は、批判に対して弁明することはなかった。批判に対する説明、弁明は、言いかえればその批判にとらわれたことを意味している。そもそも、十分考え抜いたうえで自分がやっていることとはいえ、100%正しいと言うことはありえない。とらわれない心、素直な心で受けとめれば、むしろ「そういう批判があるのなら、それを大切な意見としてさらに意欲的に行動していこう」と積極的に聞くようになる。その時、批判は助言に変わる。感情的になることなく、素直に耳を傾けられるようになる。そばで聞いていると、私のほうが「あなたはそう仰るけれど、実際は違っていますよ。あなたは松下さんを誤解している。事実を何も知らないで、よくもそんなことが言えますね。」と言いたくなることが多かった。しかし、そのような見当はずれの批判に対しても、松下は「なるほど、なるほど」と頷いて聞きいるのが常であった。しかも、いかなる話しをした人でも、その人が帰った後、これもまた必ずと言っていいほど、その人たちをほめた。「いい意見が聞けた。ありがたかったな。あの人の言うとおりや」と感謝を述べるのが常であった。そしてまた、不思議なことに、松下を批判していた人も、あれこれと話して帰る段階になると「やっぱり松下さんは偉いね」と、言うことも変わり、松下幸之助の味方に豹変してしまうのである。そういう光景を私はずいぶん見てきた。』江口克彦氏の言葉である。

   批判に対しての対応については、この松下幸之助氏の対応があるべき姿と考えます。今国会の書き換えについての政府の対応では、誰も納得しないのではないでしょうか。松下氏のようにまず素直な心、とらわれない心で受けとめ真摯に対応していくことが今求められているのではないでしょうか。