ニュースの見方

  我々はニュースを見ると、一つの出来事が1~3分で状況を伝えられ、我々はその内容を持ってあたかも知っているかのように判断し批評しています。私は、そのことに大きな不安感を持って状況を見守っています。

 なぜか。私は仕事現場で起きる出来事・問題に対して相談を受けることが多い。その際は状況を調べつくし、双方の意見を聞き、周囲の意見も聞きます。そうしていく中で真実というものが見えてきます。どうして問題が起こったかを見抜くまでには時間がかかります。当事者に言えること・言えないことがありますが、腑に落ちるまで考えて判断するようにしています。その内容を要約して2~3分でしゃべることはできます。しかし、どうしてこういうことが起こったか・こういう結果になったかを話せば、2~3分で話せるようなことはほとんどありません。様々な要因が絡み合って、問題が起こっている場合が多いからです。だから、ニュースを聞いたとしても、そこに言われていない・隠されている情報はなにかを推測しながら聞いています。

ニュースは日々の出来事に対して国民に多くの情報を短時間に伝えるため、特性上致し方ないところといえます。しかしながら、その報道内容はわかりやすく薄いだけに、また関心もあまりないので、条件反射で判断しているのが実情です。実はそこに落とし穴があり、視聴者(国民)に考えさせない習慣を蔓延らせ、物を見る眼を短絡的にさせているようにも感じています。ここを危惧しています。

もう一つ感じていることがあります。ニュースにはメディアが報道したことに対して視聴者の考えを誘導していこうという意図が見え隠れするのを強く感じることがあります。それに流されて判断してしまうこともあります。特に政治・経済や海外の情報については、発言や表情や状況など一部の画像情報を通してより理解(誇張)させるために使っているものですから、ついそれを真に受けて判断してしまうのです。特に、メディアの伝え方で我々の捕らえ方が180度変わってしまいますし、一部の意見なのに国全体がそういう考えだなどと思い込み、大変危険だと感じています。メディア側の報道に対するあり方の問題ですが。こうした情報には、より注意して慎重に判断していかなければならいと考えています。

ニュースの聞き方、特に政治・経済・出来事等々については、報道されたことを鵜呑みにするのではなく、関心があることに対しては時間的スパンを持って物事を見ていくことや情報を集めたうえで判断していくことが大切と考えています。その中で真実を見抜ける眼を養っていくことが、今問われているところではないでしょうか。ここをわきまえてニュースを聞けば、流されることはないでしょう。関心がないことは、適当に聞き流していきましょう。