何とかなるだろう、はない

 『何とかなるだろうという横着な考え方は、世の中をナメているだけでなく、自分をもスポイルするものである、ろくな練習も準備もしないで対抗試合ができるわけがないではないか。「人事を尽くして天命を待つ」というが、考え得ること、なし得ることをやり尽くした上で、もはやこれ以上は運を天にまかせる他はないというのと、神様が何とかしてくださるだろうというのとは、似てはいるがまったく違っているのである。

 一流の芸術家、たとえば故人となった越路吹雪は、あの超ベテランと言われた歌手でありながら、毎回のステージでは幕が開くまで身震いが止まらなかったそうである。何百回となく歌った歌であっても、練習しつくした曲であっても、まだ不十分で、もしかしたらミスはしまいかという不安と緊張のため、いつも戦慄しながらステージに臨んだ。いわゆる一期一会で、一つ一つのステージに全力投球したのである。だからこそ最後まで、毎回のショウが聴く人を感動させ、いつも切符が手に入らないと嘆かれたのである。プロはかくありたいものである。

 何とかなるだろうではなく、どんなことがあっても何とかなるだけの実力を常に磨き、常に準備と練習訓練を怠らぬようにしたい。プロは人前で語り、歌うために、その何百回もの練習に励んでいることを忘れずに・・・。』私の尊敬する鎌田勝氏の言葉である。

 「何とかなるだろう」では、何にもなるわけがない。どんなことがあっても何とかなるだけの実力をつけることである。緩めてはならない。これでもかこれでもかと上を目指して取り組んでいくのである。